きょう、書棚の上で遊んでいたら、
そこは危険だからと言って、
引きずり降ろされました。
抱きかかえられたけど
足を突っ張って
おもいっきり反抗しました。
ほっといてほしいです。
だいじょうぶにゃんだから!
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世のなかコロナでおおさわぎ。
あっという間に5がつです。
きのう、すてきなポストカードがとどきました。
ほのぼのとした気分になりました。
できるだけ外出をひかえて、いっぱい
猫じゃらしであそんでほしいです。
吾輩は、年がら年中 Stay Home。。。
たとえば、
じゅーすの缶を上から見ると円形で、
横から見ると四角形であるように、
見る角度でかたちがちがってくる。
どちらもまちがいじゃない。
みんなそれぞれ、そのときどきで、
ちがった思いや考えをもっている。
ひとつの方向や場面だけで
審判を下さないことだにゃ!
ところで、、
あみださまは、わたしたちを
裁かれないそうです。
わたしたちの全部を
見通されておられるがゆえに。
邪見のつのが
はえたまんまで
如来(おや)にとられて
なむあみだぶつ (浅原才市)
きょうは節分の日。
うちには邪見のつのが生えた鬼が、
1匹、2匹…
でも、この鬼たちも
あみださまのまえでは、
降参のようです。
おてあげだにゃ!!
わたしの方から
ほとけさまに向かって祈ったり、
ほとけさまを探したりするんじゃなくて、
ほとけさまの方から
念ぜられ
喚ばれています。
救いの扉は、
わたしの方から
押してひらくのではなくて、
ほとけさまの方から
わたしに向かって
ひらかれてくるんです。
パソコンばかりしているときは、
こうしてそんざいを
あぴーるします。
飼い主さんいわく、
「一匹飼いはかわいそうかな?さみしくないかな?」
しんぱいご無用。。
しぜん界では群れをつくらず、
単独こうどうをします。
それに、、 そもそも
お経にかいてあるように、
「独生独死独去独来」(『大無量寿経』)
にゃんだよねぇ~
ドラマ『病室で念仏を唱えないでください』の
第1わを見ました。
ときどきぶっきょう用語がでてきました。
ぶっきょうは生と死を
べつべつに考えません。
生の終わりのむこうに死があるんじゃなくて
生と死は表と裏。
いち枚の紙に表と裏があるように。
ほんとはいい面だけ見るようにして
たのしく生きていきたいけど
つねに裏がくっついているんだにゃ!
生のみが 我らにあらず
死もまた 我らなり(清沢満之)
ご本山のご正忌報恩講の
つや布教をねっとでお聴聞しました。
聞いているうちに
だんだんねむたくなって
ウトウトしてきました。
「仏法は毛穴から入るのよ」と、
耳元でささやく声がしました。
さいきん身近な老病死にせっして、
家人たちが右往左往している。
ぶっきょうは「因」「縁」「果」を説きます。
よく病いとか事故とかが原因で
亡くなったといいますが、
それは「因」じゃなくて「縁」なんだ。
死の「因」は生まれたことによるんだにゃ。
生死無常のことわり、
すでにおしゃかさまがお説きになっているから
おどろくことではないと、
しんらんしょうにんは
おてがみにしたためられています。
「なによりも、去年・今年、老若男女おほくのひとびとの、死にあひて候ふらんこと、あはれに候へ。ただし生死無常のことわり、くわしく如来の説きおかせおはしまして候ふうへは、おどろきおぼしめすべからず候ふ」 『親鸞聖人御消息』
きょうのお天気はくもり。
たいようは雲におおわれているけど、
下界は真っ暗闇じゃないよ。
ちゃんとひかりはとどいています。
煩悩の雲におおわれても
あみださまの摂取したまう
はたらきはとどいている。
たいようが雲をじゃまとしないように。
譬如日光覆雲霧
雲霧之下明無暗 『 正信偈 』
「ちゅーる」うまいにゃっ!
あみださまのお慈悲は、
生きとし生くるものすべてに
とどけられているそうです。
疑いの蓋をかぶせたら
あみださまのおこころを
シャットアウトしてしまいます。
阿弥陀には へだつるこころ なけれども
蓋ある水に 月は宿らじ (蓮如上人)
蓋をオープンにしないとにゃ!
縁あってじょうどしんしゅうのお寺に
住まわせていただいております。
神仏に祈って願いごとをするのとはちがって、
わたしにかけられたあみださまの願いを
聞かせてもらうお寺です。
わかりやすく示すと、、
私 → 神仏
私 ← あみださま
つまり矢印の方向性が逆なんだにゃ。
「なもあみだぶつ」は呪文じゃないよ。
゙一人ももらさずすくいとげる゙
という証拠だよ。
ことしも
「摂取不捨」のあみださまが
ごいっしょしてくださいます。
にゃまんだぶ、にゃまんだぶ…
きょうは大みそか。
住人のことを洞察した一年を
ひそかにふりかえっています。
「煩悩に 走せ使われて 走り回って また年新た」
ってかんじです。
それにしても
ぼんのうをかかえたそのままで
すくわれるって、、、
どうゆうこと?
しん年もあみださまのおはなしを
聞きつづけていきたいにゃ!
まいあさ、ここで
起きてくるのを待っています。
遅いときは、
「にゃーにゃー」鳴いて
起こしてあげます。
わたしの体内時計、
けっこう正確だよ。
まいど「積読(つんどく)」じょうたいです。
いまから年まつ年しにかけて
よむんだそうです。
ほんとかにゃ~?
ちゃんとよむように
見はっていようとおもいます。
実るほど 頭を垂れる 稲穂かな
けさ、てれびから
のーべる賞をじゅ賞されたひとの
「ざ右の銘」がきこえてきた。
ふと、あみださまのことをおもった。
あみださまのご法義は、
頭を下げるんじゃなくて、
頭がおのずから
下がっていく世界なんだにゃ~って。
悲しみこらえて微笑むよりも
涙かれるまで泣くほうがいい
人は悲しみが多いほど
人には優しく出来るのだから『贈る言葉』
どんな対談になるのかにゃ?
整理券まだあるみたいだよ~
10がつの「掲示伝道」みたいです。
朝日にひかるうろこ雲。
きれいだったにゃぁ~
自然がつくりだすゆう大な造けいに
すごく感動したニャン!!
♪いのちまいにち~
あ~たらーしーいぃぃ~♪♪ (仏教讃歌より)
と心のなかでうたいました。
彼岸花 咲ける間の
道をゆく 行ききわまれば
母に会うらん
美智子さま皇后じだいに
よまれたうただときいています。
ここのぼーもりさんも
このうたにグッとくるらしいです。
おしゃかさまは、
「俱会一処」(くえいっしょ)『阿弥陀経』
=ともに一つ処で会う
と、
しんらんしょうにんは、
「かならずかならず一つところへ
まゐりあうべく候ふ」『親鸞聖人御消息』
とおしえてくれました。
せんじつ、あきのおひがんえがありました。
スピーカーからご法話がながれてきました。
聞いたところをおりおりに
つづっていけたらにゃとおもいます。
ざん暑きびしいなか、
おまいりされたみなさま、
ほんとにあたまがさがります。
じゅうしょくさんに
ほんどうにクーラーを付けるように
おねがいしときました。
にんげんどもは、まいにちあわただしく
もろもろのつとめをいとなんでいる。
あっという間に月日がすぎていくのを
なんともおもってないよーだ。
まるで風のなかのろうそくのように
いつ消えるともわからないのに。
むなしいにゃ!
ぶっぽうを聞かないと。
「人間そうそうとして衆務を営み、年命の日夜に去ることを覚えず。灯の風中にありて滅すること期しがたきごとし…おのおの聞け。強健有力の時、自策自励して常住を求めよ。」『往生礼讃偈』
らいおんみたいだと
笑われました。
なんかふくざつなきもちだにゃ…
べらんだでセミが息たえていた。
「蟪蛄は春秋を識らず」
のおはなしをおもいだした。
セミは夏しかしらない。
四季のなかの夏であることもしらない。
このきょう涯が
すべてとおもって
過ごすすがたを
ほとけさまの
ひろいおさとりのせかいからみれば
どんなふうに映っているんだろうにゃ?…
おひさしぶりの二胡れっすんで
持ちかえってきたチラシを見ました。
秋のきょうとのにしほんがん寺さまへ
いつも聞かされる音色とはぜんぜんちがう
情感いっぱいの音色を聴きにいきたいにゃ~
とおもいました。
なんだこりゃ?!なかまじゃないか!
おもろいネーミングだにゃ~
あついあつい
れいわがん年のなつ。
長毛種にはこたえたにゃ!
なので日記をさぼっていました。
秋のけはいを室内でかんじています。
あさ、うぐいすの声がきこえました。
「ほーーほけきょ!」が
「法を聞けよ!」にきこえました。
こんげつの25日、26日は、
『えいたいきょうほうよう』です。
ぶっぽうちょうもん
したいとおもいます。
生まれてはじめてばらを愛でました。
ある先生のことば。
「バラの花はきれいだがトゲがある、というのが世間の見方。
こんなトゲだらけの木に何と美しい花が咲くものよ、と見るのが浄土真宗の見方。」
なんか、あじわい深いにゃ…
おんな飼い主さんにおみやげがとどいた。
たび先のとうきょうで、
「あなたのことをふと思い出したから」と。
おみやげの品々もそうだけど、
大都会のどまんなかで、
じぶんのことをいっしゅんでも
おもってくれたことにかんげきしていた。
あのね、わすれないでほしいにゃあー
あみださまは、しろくじちゅう
あなたのことをおもって、おもって
おもいどおしであることを。
つがいのつばめが、
電線になんどもとまりにきていた。
飼い主サンたちが、
「かわいいねぇ~」と
はなしあっていた。
そのうち、
のうこつ堂のげんかんの軒下に
巣づくりにきて
あちこち汚してきた。
おっぱらっても
おっぱらっても
しつこくやってきた。
こんどは、
「かわいくないねぇー」
といいだした。
にんげんのつごうってなんなのさ。
ねこちぐらに小まどをつけてもらった。
異変があったら、すばやくだいれくとに
手をつっこむことができます。
わたしって、すごいでしょ!
でも、もっとすごいことがあるんだにゃ。
海にうかぶ穴のあいた1まいの流木。
海底にすむ目の見えない亀が 、
100年に1度だけ海面にのぼったとき
この流木の穴から顔を出すという
ありえないほどの確率。(「盲亀浮木」のたとえ)
人間に生まれ、仏法にあえることは、
このおたとえが示すよりも
さらにむつかしいことだと
おしゃかさまは、
おしえてくれているんだよ~
かがみは、
左右は反対にうつすけど、
上下は反対にうつさないのは、
どういうことにゃんだ!?
そもそもかがみは、
右のものを右に、
左のものを左に
そのままをうつしているだけなんだ。
左右反対にうつっていると思うのは、
見ている自分を中心にするから。
おしゃかさまは、
それを「我執」と説かれました。
のうこつ堂が完成しました。
明るくていいかんじです。
令和がん年5がつ1にちから
受付すたーとだそうです。
ようこそ、ようこそ。
一期一会だにゃあ。
きちんと手をそろえて
所作をきれいに。
接遇のきほんだにゃ。
「あにゃん」というなまえは、
おしゃかさまの十大弟子のおひとり
「あなんそんじゃ」
からきてるそうです。
「あなん」→「あにゃん」
になりました。
わりと気に入っています。
「多聞第一」といわれ、
おしゃかさまのおしえを
いちばん多く聞かれたそうです。
せっかくおてらに
縁があったわけですから
なまえに恥じぬように
お聴聞しなくては、
と、わたし的にはおもっています。
こころざしを高くー。
あさ、外でねこの鳴き声がしたので、
べらんだからのぞいてみた。
かれらは、
はるのぽかぽか陽気のなか、
じゆうにたのしそうに
走りまわっていた。
うらやましかった。
ここの飼い主サンは、
冷暖房かんびのなか、
えさをあたえることが
わたしにとって
しあわせなことなんだと
かんちがいしている。
「よきことしたるが、わろきことあり、
わろきことしたるが、よきことあり」(蓮如上人)
って、世の中にはいっぱい
あるような気がする。